昨今よく目にする自動車絡みの事故で度々マスメディアに取り上げられるのが高齢者の事故。この事故の原因はアクセルの踏み間違いが大半である。
それともう1つ、走行中に気を失って運転不能状態のまま走行してしまって大惨事を引き起こしてしまう、という悲惨な事故もよく取り上げられる。このケースは走行中に「てんかん」の発作を起こしてしまったことが考えられ、車のコントロールが不可能な状態に陥ってそのまま….という最悪なパターン。
私の親しい友人の1人に大の車好きなのにも関わらず、てんかんを患ってしまって車に乗れなくなってしまった。という、友人がいる。
しかし、今ではまた元気に愛車に乗ることができるようにまで回復している。
突然発症するてんかん
それまでは健康そのもの
もう10年近くも前になるだろうか、友人がある日突然てんかんを発症してしまった。
友人に電話して車の調子はどう?と尋ねると、「実は車にもう乗れないんだよね….。」と明らかに沈んだような返事が返ってきた。
どういうことかと尋ねると、てんかんを発症してしまって免許を取り上げられてしまった。これからは電車通勤になるし、仕事もどうなるかわからない。と。
その友人は夜な夜な首都高を走ることにを生きがい見出すような根っからの車好きで、車を取り上げたら何が残るのか?と思う程、車に没頭していた。
AT→MT載せ替えからリミッター解除、CPU改造による燃調セッティング、ブーストUPに強化クラッチやらなにやら、私もよくわからないようなチューン施し、走り屋を体現しているような友人だった。
そんな人が車に突然乗れなくなる….これがどれほどショックなことか。想像するだけでも車好きな人ならどれほどツライことか、痛い程わかるだろうと思う。
健康上なにも問題はなさそうだったし、これまでてんかんを発症したことは1度もない。
走行中突然に….
話によれば友人は走行中、バスの後ろを走っていたそうだ。その日は仕事も休みでこれから走りに行こう、と意気込んでいたところ。
その時、一瞬気持ち悪いような、そんな感覚を覚えたという。
そして次の瞬間、自分はバスの後ろを走っていたはずなのに、後部バンパーの下に挟まるように、ぶつかっていた、と。バスの下に潜り込んでいるような形でぶつかってしまったらしい。
フロントガラスはバキバキにひび割れ、車のフロントは大破。フレームも歪んでしまって相当に大きな事故だった。
私もその時の車を見させてもらったけど見るも無残な姿、とはこのことだなと。これでよく本人は無事だったなあと。そのことが不幸中の幸いだった。それと他人を巻き込まず、ただの自爆であったことも。
バスを走っていたら急に目の前の景色がパっと変わって、いつの間にかぶつかっていたらしい。
医師から告げられた「車」終了宣告
その後病院で精密検査を受けたところ、てんかんだと認められた。
詳しい原因はわからず、根本的に治療するための手段や薬などはないのが現状で、今後は一生てんかんと上手に付き合っていくしかない。
一応投薬でてんかんの発作をある程度は抑えることはできる。だけどそれも確実なものではなく、投薬を続けているからといって発作が起きないとも限らない。
このような感じで友人は淡々と説明してくれた。
こんな状態で車に乗ることはできず、医師からも固く禁じられた。彼は営業職であった為、車に乗れないとなれば仕事にも差し支える。
てんかんを患ってしまったことを会社に申し出たところ、運転業務のない別の部署へ配置転換させてくれたみたいだが、給料は約3割減ってしまったと嘆いていた。
日常でも頻繁に発作がおきるように
その後は電車通勤へと切り替え、体の負担を減らすために残業もしないでいいように会社は取り計らってくれた。
てんかんの発作はストレスに大きく起因していると考えられているようで、なるべく働く時間を少なく、規則正しい生活をするように。と医師から念を押されたそうだ。
友人のてんかんも仕事のストレスから発症してしまったものだと説明を受けたらしい。
私は月1程度で電話なりして様子を伺っていたのだけど、
「先週は通勤中の電車の中で倒れて電車を止めてしまった」とか、「ひげを剃っていたら倒れて口の周りが血だらけになっていた」とか、そう発言するたびに本当に大丈夫なのか?と心配にならざるを得なかった。かなり高頻度で倒れているようだった。
そんな地獄の日々も終わりが….
最後のてんかんの発作が起きて2年間、1度も発作が起きなければまた車に乗れるようになる。運転できる。
友人は医師のその言葉を希望に、日々を過ごしていたようだ。
そしてその日はやってきた。そんなの無理だろう、と私は思っていたけど、実際に友人がかつての愛車を復活させて目の前に現れたときは少し感動した。
事故で大破した車をずっと大事にガレージに止めておき、5~60万かけて完全に修理したと。フレームまで逝っていたのによく直したものだと変に感心した。よほど愛着があったのだろう。同じ車を買い替えていた方が安上がりだったのにも関わらず、だ。車好きの鏡だなと思った。
今はその車は売却し、違う車で私とツーリングや食事に出かけるまでに回復している。
どんなことでも終わりがある
友人が一時期車に乗れないことで結構ヤケクソ気味な生活をしていた時期があった。けれどまたこうして愛車に乗れて運転し、車トークに花を咲かせている現状を見ていると、どんなことにも終わりはくるものだなと実感している。
それはイイことでもイヤのことでも、どちらにも言えることだ。
最初の発作から約10年程経った今でも、薬は手放せない生活をしていて会社では車は乗っていない。(乗せてもらえない)
仕事内容も変わって当初は給料も減ってしまったけど、今では仕事も慣れてそこそこ任せられるようにまでなったらしい。
てんかんで友人の人生は一変してしまった。落ち着いているけど今にでも発作がおきるかもしれない。けれどこうしてまた愛車をイジれる生活を取り戻せている。
もしも同じような境遇の人がいたら、こんな事例もあるんだな、と覚えておいてほしい。その悲観にも終わりがあると思います。
人の気持ちや想い、というものは時に凄いパワーを発揮する。友人を話しているとそう思わずにはいられない。
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